久谷のお寺

江戸時代には各村に寺請制度が設けられました。その家や一族の人々が、檀家として特定の寺院を
菩提寺と定めることで、身分を証明するとともに、江戸幕府が禁止していた宗教(キリスト教)に帰依して
いないことを証明しました。

そのため、村人がある理由で転居したり、お伊勢参りをはじめとするたびに出かけるには、「寺請状」や
「旅(中)手形」を発行する公的な役割がお寺の仕事ともなっていました。

寺請制度は檀家制度を利用して、村民の動向や戸籍管理を進める江戸時代独自の制度です。
檀家制度や寺請制度を定着させることで、江戸幕府は禁止していた宗教から仏教に帰依させ、安定した
政治支配ができました。

ここで江戸時代関東の名主が発行した旅手形を見て見ます。



「往来一札之こと」とあり6行目から「切支丹類族二而も無御座候宗旨代々 浄土真宗二而則拙寺旦那ニ紛無御座候
(以下略」
文の終り頃に「天保十四年  卯四月 蓮淨寺 当時無住留守居 旦した惣代権右衛門 諸国御関所役人衆中」とあり、
寺が無住で住職がいないため惣代(庄屋・名主に相当?)が出した道中手形である。

かくして、寺請制度は檀家制度を利用して、村民の動向や戸籍管理を進める江戸時代独自の制度です。
檀家制度や寺請制度を定着させることで、江戸幕府は禁止していた宗教から仏教に帰依させ、安定した
政治支配ができました。

久谷地区ののお寺を見てみよう。

名 称 所在地 創建年 宗 派 御本尊
1 道旧寺 上野町 1659年 曹洞宗 正観世音菩薩
心行寺 中野町 1590年 浄土宗 阿弥陀如来
常光寺 恵原町 1570年 浄土宗 阿弥陀如来
大蓮寺 東方町 749年 真言宗 11面観世音菩薩
安楽寺 津吉町 1702年 黄檗宗 薬師如来
文殊院 恵原町 824年 真言宗 地蔵菩薩
浄瑠璃寺 浄瑠璃町 708年 真言宗 薬師如来
八坂寺 浄瑠璃町 701年 真言宗 阿弥陀如来
円福寺 窪野町 1662年 真言宗 延命地蔵菩薩


次に宗派の主な特色をネットで探して、参考に記しておきます。

曹洞宗」・・・・座禅を基本として、修業の意義作法を重視する。悟りを求めない修業によって悟りを得られると考える。
悟りを目的とする修業は打算的であり打算的な悟りを生む。悟るまで就業するには、悟ったら修業しなくてよいことになる。
悟りへのこだわりはいらない。座禅の座り方は中国以来の面壁。経典は道元が書いた正法眼蔵が中心。

浄土宗」・・・・修業による成仏は否定し、修業の価値を認めない。念仏を唱えることは行として勧める。唱えることで極楽往生する。
念仏を唱えることを重視。成仏と往生は区別して考える。極楽往生の後、極楽黄土で修業し成仏すると考える。
経典は浄土三部経のうち感無量寿経に重きを置く。

真言宗」・・・・曼荼羅的な思想が中心。十住心思想といって、人の心のあり方、価値観、宗教などを十段階に分け、最終段階は
大日如来と同レベルに達することを説く。大日如来がすべての根本であって、万物は大日如来と深い関わり合いを持っていると考える。
また真言密教以外の教えは顕教とし、それは真言密教の一部であり、密教に到達するまでの過程とした。

黄檗宗」・・・・修業形態は臨済宗と同様。儀式の形式や使われる言葉は中国明時代の様式。経典は特に定めない。
陀羅尼や阿弥陀経も読む。念仏を唱えるが浄土系とはかなりとらえ方が異なる。南無阿弥陀仏を「ナミオミトフ」と読む。
この宗派は「おうばくしゅう」と読む。

次の寺の写真はほぼネットから採りました。いずれ再掲載します。

道 旧 寺 心 行 寺 常 光 寺
大 蓮 寺 安 楽 寺 文 殊 院
浄 瑠 璃 寺 八 坂 寺 円 福 寺

地図を載せておきます。

   



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