46番札所 浄瑠璃寺

行基菩薩は奈良大仏殿建立の勧進のため全国を廻りましたが、その時この地を修業地として伽藍を建て、
薬師如来を刻んで奉納しました。

薬師如来は詳しくは「薬師瑠璃光如来」というところから、お寺の名前を浄瑠璃寺と呼ぶようになった
もので、伊予の国の
医王山です。徳川時代、山火事のためお堂は焼けましたが、のち、この地の庄屋の出身
である尭音というお坊さんが本堂を再建しました。

石段の数は22


入口向かって左側に正岡子規の句碑がある。「永き日や 衛門三郎 浄瑠璃寺」とあるがなかなか読みづらい。


階段をのぼりつめるとすぐ右側に鐘楼がある。


いぶきびゃくしん」という香木。本堂に向かって歩くと樹齢千年と書いてある市の天然記念物に指定されている。


「説法石」と言われているもので、釈迦が弟子に説法をしたときに使った石の一部が

この大きな石に埋め込まれているという。赤い縁の中にやや黒い石が見える。



「仏足石」よいわれ、お釈迦様の足跡が刻みこまれているという。長さが40cm以上あるから、顔を傾げる方が多い。
この足跡を踏むと交通事故にかからないそうである。




「仏手石」で、お釈迦様の手形を刻み込んだ石と言われる。この手に触ると御利益があるという。


本堂


大師堂


これは境内のはずれの東側にある
「鎮魂碑」と呼ばれているもの。
地元の相原熊太郎さんが太平洋戦争で亡くなられた方の家を訪れ、
その様子をやさしい短い言葉と共に
名前や戦地のことを皿に描いて、
砥部焼にしたもの。300枚あり、この塔は地元で内科医をされていた
三好かつみ先生の寄贈。遠く関東の方の名前も見える。

この鎮魂碑は2015年、寺の西側に庭園を設けた際そこに移動した。

庭園周囲は牡丹の花が春には咲き乱れる。



一例であるが、このさらには、「茨城 東ヶ崎俊雄様徴兵キカン(兵)俊雄さん再役二度して

又志願硫黄島に入って最後まで軍隊生活十一年廿三十六三十一」とある。


余談ながら、この境内の北側に荏原城主であった平岡遠江守房美と思われる墓がある。


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