久谷の路線バスについて
江戸時代まで松山市と高知市を結ぶ大動脈は土佐海道(別名、久万街道)だった。今も久谷地区に剣道194号線
として面影を残している。
この道に定期的にバスが走るようになったのは、比較的新しい。終戦前に松山市駅と重信川の北にある森松町を結ぶ
蒸気機関車(いわゆる坊っちゃん列車)は利用されていた。
当時のいつのものかわからない森松駅の写真がこちら。
久谷地区に住む者が松山市内に出かけるには、まず徒歩、馬車でこの森松駅に着き、汽車に乗り換える。
高校生などの通学生の半数は自転車で行き、駅前にある店と契約で自転車を預け汽車を利用した。
やがてこの汽車も廃止となり、路線が道路として拡張される。
それからようやく松山市内と久谷を結ぶバスが運行し始めた。
久谷地区を走った路線バスについて、記録として残しておく。詳細は伊予鉄路バス課の松本さんのお世話になったことに
お礼申しあげておきます。 (令和3年4月6日)
バスの歴史
久谷にいつごろから乗合自動車が走り始めたか、明確な資料はない。
定期バス路線の乗り入れは、伊予鉄道自動車部の資料では、昭和14・15年ごろ運転免許を取得した「三共自動車」
伊予鉄が昭和19年1月に合併し、以来伊予鉄が自動車部を設置してその営業を続けていた。
戦争末期から終戦後しばらくは丹波線の運行も一時中断し、昭和22年から運転が再開され、一日4往復となった。
当時バスと並行して乗合馬車が運行されていたが、昭和25・26年ころ廃止となった。
やがてガソリンが出回るにつれ、木炭車も姿を消す。
森松駅から松山市駅を往復した 俗に「坊っちゃん」と呼ばれた蒸気 機関車。立花の坂ではただ乗りする 連中が飛び乗り降りしていた。 |
雨が降ってもぬれないよう屋根が付き、 座布団がクッション代わり。 原町の坂を息を切らして歩く馬が 可哀想だった。 |
後部に木炭などを入れて蒸気で動かす バス。エンジンはボンネットの下に鉄棒を 差し込んで、人力でかける. 三坂峠では乗客が降りていたとか。 |
久谷に関係のある主な路線
1 上林線
昭和25年4月25日開通。
森松から広瀬、河原、小村、中野、上村、上林を経て、皿が峰登山口が終点。
2 丹波線
昭和26年1月から松山市内より上林線共に直通運転となる。
3 久谷線
昭和32年5月11日開通。市内から森松、出口、久谷中組を通って奥久谷に至る。
4 川内線
昭和33年4月1日開通。
川内が始発で上村、津吉、東方、上野中組、土段(どんだ)、森松を経て市内へ。
* 昭和40年1月30日、伊予鉄道森松線が廃止され、汽車を利用していた客はバスに吸収されることとなった。
(注)以上は村史、伊予鉄バスのHPの写真などを参考にしています。
始発場所と終点場所について
1 市駅発丹波終点のバスの運行 昭和19年1月1日から開始
2 森松バス停を始発に丹波終点へ変更となったのは、 平成19年4月1日
3 丹波始発が横道経由し、上野団地を通って森松終点となったのは、平成20年8月21日
4 市駅発久谷終点の開始 昭和32年1月17日
終り 平成13年4月16日
5 丹波発、八坂寺を経て古市橋、上野団地回りの東回り路線の開始は不明。
6 市駅発、森松、上野、東方経由で東温市川上が終点の路線バスは記録がない。
このころ走り始めたと思われるバス
1960年代のバス。
この頃は始発のバス停から3つ目ぐらいだともう座れなかった。5つ目ぐらいは満員状態。
その中で喫煙も普通。車掌さんが乗るときに切符を改め、降りるときに回収していた。
車内はいたってにぎやか。
市内電車と並行して走る伊予鉄の路線バス。1960年代。
市駅から終点の丹波バス停に着いたバス。
かってはここに伊予鉄の宿舎があり、運転手と車掌さんが泊まり、翌朝1番バスとして市内へ出発していたじきもあった。
確か朝7時ころに出ていたようだと思う。
私が一番よく利用していたころのバス。
2010年代の最も見かけたバス。
その車内がこんな感じ。
これはいつ頃のものだったろう。自信がない。
ごく最近まで走っていた。今もどこかで見かけるかも。
最終的には全身塗りつぶしたこのバスに。
ついで、バス停の表示と場所を記録にとどめる。写真は一応前後から撮ってみた。
番 号 | バ ス 停 名 | 停 留 所 の 表 示 | |
1 | 森松バス停 | ||
2 | 森松橋詰 | ||
3 | 高尾田北口 | ||
左側が砥部町方面 | 正面に小さく森松橋 | ||
4 | 高尾田 | ||
国道33号線から砥部町方面乗り場 | 33号線の反対側乗り場 | ||
5 | 高尾田東 | ||
6 | 広 瀬 | ||
7 | 宮の北 | ||
8 | 横 道 | ||
県道194号線側 | 運動公園が正面に | ||
9 | 恵 原 | ||
10 | 恵原公民館前 | ||
11 | 新 張 | ||
12 | 八坂寺前 | ||
13 | 浄瑠璃寺前 | ||
14 | 坂本駐在所前 | ||
昭和の時代まではここに坂本駐在所があった。 | |||
15 | 坂本小学校前 | ||
16 | 出 口 | ||
「いでぐち」と読む。坂本地区の中心地。 | |||
17 | 関 谷 (関 谷) | ||
「せきや」の文字が異なっている | こちらが正しい古老は言われる。 | ||
18 | 中之坂 | ||
19 | 宮 方 | ||
20 | 丹 波 | ||
21 | 八坂寺前 | ||
東回りは1日1便のみの運行で、ここは午前10時25分に来ていた。。 | |||
22 | 東 方 | ||
23 | 荏原事業所前 | ||
東回り便はここを最後に下の大山祇に向かう。 | |||
24 | 大山祇命神示教会前 | ||
横道を通らない便は、横道の手前で左折してこのバス停へ。 | |||
25 | 西野口 | ||
26 | 県生涯学習センター前 | ||
砥部町の麻生側へ出るバス停 | 広瀬から運動公園側のバス停 | ||
27 | 上野団地 | ||
28 | 上野団地口 |
バスが走らなくなった後のバス停は寂しい限り。
バス停のあった場所をGoogle mapで一応示しておきます。
路線が消える1週間くらい前に浄瑠璃寺前で撮った写真。
長い間ご苦労さんでした。サヨーナラー!