「Eノギ、E/FONT>

柳田邦夫著E「地名E研究」に以下E斁Eある、E/SPAN>
「中国地方などにはホノギと称して、小字よりいま一つ下E、それでも個、EE田めE敷の名を若干合わせた
区域名があったらしく・・・中には一か村か二か村で一巻E13行E罫紙100枚以上E大冊)をなす例も
あった。山地が多くてそれをE割利用してぁE地方などである。、E/span>

私E知る篁E、Eノギは四国・中国地方で使われたよぁEが、Eたして他E地区にもEノギに相当するものぁEBR> あったEかどぁE、E/span>

さて、乁E地区のホノギの数EE治E年の調査Eを表で見る、E/span>

村 吁E/SPAN>

ホノギ数

村 吁E/SPAN>

ホノギ数

村 吁E/SPAN>

ホノギ数

東方杁E/SPAN>

62

小村

26

窪野村

62

上野杁E/SPAN>

10

恵原町杁E/SPAN>

32

流E璁E

29

津吉村

25

河原村

3

乁E杁E/SPAN>

404

中野村

12

西野村

29

 

 

東方村E江戸時代最大の石高E獲れる豊かな地。乁EE道以東南北に長ぁE国木田氏E述べる「個、EE田めEBR> 屋敷の名を若干合わせた区域名・・・」にあたるEが乁E村。田んぼめE一枚ごとにホノギがつぁEぁE
感じである。今となってはそE調査の方法がなぁE覚えてぁE方がなぁEEである、E/span>

ホノギ名を調べるにはEつの方法がある、E/span>
Eつは、土地改良区にある地図、E/span>
EつめE、村の総代EE治会長Eが持ってぁE昔E道路、水路の地図、E/span>
こEEつをEらし合わせれば、何とかEノギの墁EがEかるが、EつがEったと一致しなぁEとが多い、EBR> そE琁Eは、新設道路E水路E、拡張された道路E水路EEためである、E/span>

まず土地改良区の地図を示す、E/span>

これにはホノギ名E出てなぁEE/span>

それとなく墁Eはわかる、E/span> 上部中央に堀で囲まれた通称「荏原城」、E/p>

こちらE町の代表が持ってぁE地図で、E路、水路が着色されてしめされてぁEが、EBR> ホノギの墁Eは明瞭でなぁEE/span>
恵原町のホノギはほぼ調べたが、Espan style='font-family:メイリオ;mso-ascii-font-family:"Meiryo UI"; mso-hansi-font-family:"Meiryo UI";mso-bidi-font-family:"Times New Roman"; mso-bidi-theme-font:minor-bidi'>これはかなり時間がかかった、EBR> 最初E図E枚だけここに載せておく、E/span>
こE図の作Eは数十年前EもEと思われる、EBR> こちらE図の場合「荏原城」E中央めE左、EBR>


流E璁Eで見つけた「Eノギ、E/FONT>
流E璁Eには「ごしょのぁEE漢字E不Eだが、『御所の冁Eだろうか)」とぁE
ホノギがあった。名前からして身刁EE高い方が住んでぁEためつぁEと想僁EBR> される、EBR> 残念ながら「乁E村史」に出てなくて、坂本地区の郷土史家「中川茂美」さめEBR> からそE話しを聞いた、EBR>
そこで2015年11朁E0日、土地に詳しい方、Eら場所を聞き、E真に撮っておいた、EBR> 後、EEためにぜEこE調べたE容を残しておきたい、EBR>

 水路があるが土地の高さが同じで、右側も少し
 高くなってぁEが庁E、EBR>  屋敷があっても不思議ではなぁEE/SPAN>
 場所E見にくいEが示しておく、E/TD>


乁E地区の古墳につぁE

残念ながら筁EEE老E学にはとんと疎いとぁEかEしろ無知である、EBR> しかし、名前E聞いたけど村史にも場所がEてなぁE矢谷古墳」を一度は見ておきたい
とぁE願望があった、EBR>
他所は刁EらなぁE、乁Eで有名な八塚群雁E墳は丸みを帯びたE墳および方墳
で、しかもてっぺんに木が植わってぁE。この事実をもとに矢谷地区を歩ぁEら、なんE
ことはなぁEすぐ見つかった。標板も何もなぁE私有地のせいだろう、EBR>

北Eから見た古墳E個、EBR>
小さぁEぁEE冁EらしぁE

大きいほぁEE形が崩れて

判断できなぁEE/TD>
北Eにある小さぁE墳、E/TD>
大きい古墳、EBR>
南Eが崩れてぁE、E/TD>



まだまだほかにある古墳を探して、ここに記録しておきたい。!E015.11.21EEBR>

 津吉古墳群とぁEれてぁEが、EBR>  今EところぁE/SPAN>のE基しかわからなぁEE/TD>  津吉古墳の場所、E/TD>
 大友山のふもとにあるが、場所皁Eは乁E
 地区ではなく砥部町上原町に属する、E/SPAN>
 大下田古墳の場所、E/TD>
 説明では古墳時代後期とある、E/TD>  石室に入れるように工夫してある、E/TD>
 石室冁E、E/TD>  同じ「大下田古墳群』だが、こちらE先E場所
 から 北へE00m程度離れた場所、EBR>  同じく古墳時代後期と説明がある、E/SPAN>
 大下田古墳第EE場所、E/TD>  カメラの光量が足りなくて石室冁E
 ぁEく撮れなかった、E/SPAN>
 上野にあったシヤカメ山古墳跡地。国体Eため
 に開発され、もぁE形もなぁEE/TD>
 上野シヤカメ山古墳の場所、E/TD>
 西野古墳群とぁEれてぁEが定かでなぁEEBR>  場所は右の地図を参照、EBR>  めE庁Eなった場所にEか所の石の乱めEBR>  があり、古墳の征E/SPAN>と思われる、E/TD>  西野古墳群と思われる場所
 
  左の丘陵の上に松ヶ谷古墳がある、EBR>  弥生時代から古墳時代にかけてのもE
 とされ、E数年前発掘調査があった、E/SPAN>

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