2017年の国体に間に合わせるべく、砥部町と県道207号線を結ぶ道路を新設している。
これと相まって、2015年5月11日から市埋蔵文化センターが9月10日まで発掘調査を行う。
近隣に住む者には回覧板で、市内の住民には「広報松山」で周知が図られた。
こちらは地区住民宛の案内状。赤く四角で囲んだところが発掘地。
埋蔵文化財センター職員による説明会が、7月26日 暑い中大勢の参加者(総勢約60人程度)が話を |
場所は1区から3区に分けられ、説明によると、紀元前300年以上前から鎌倉時代の土器までが発見され これは1区で、1世紀ごろの土器の破片。ここは古墳時代6世紀のものも出土している。 |
発掘された 1区の広さ。中央部分に焼失した建物の跡。地面が焦げている。 |
2区の始まり。 |
2区で、古墳時代の土師器が見つかった場所。推定500AD. |
ここには直径6mぐらいの竪穴住居があったらしい。 |
3区で掘立柱材が出土した場所。 |
3区。弥生時代の柱穴跡。6世紀後半とみられる。 |
3区にある「かまど」跡。 |
以下、出土品の主なもの |
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弥生時代の石包丁。 |
古墳時代の土師器。 |
須恵器(古墳~飛鳥時代)。 |
鎌倉時代の土器もほぼ完全な形で出土した。 |
遺構や出土品の一覧表 |
久谷地区にどれくらいの遺跡があるかを示す地図。
説明を聞きながら、すごくロマンを感じた。もしかしたら、1000年以上前ここに私たちの祖先が住んでいたかもしれない。
どんな顔つき、どんな性格で何を食べていたんだろう。ネアンデルタールみたいな顔をしてひげむじゃら。
意思疎通の言葉は?想像をかきたてられるじゃないですか!!
お知らせ
上の地図に赤で囲った遺跡は2017年8月25日の「松山南部農道」の完成とともに、ほぼ永久に地下に
眠ることになりました。
こんな風に変わりました。
2015年7月の姿。 | 2017年8月の姿。 |