松山市立久谷中学校

松山市立久谷中学校(まつやましりつえばらしょうがっこう)は愛媛県松山市最南端に位置する、

男女共の公立中学校である。

「主な項目」

概 要 沿 革 校 歌 写 真 余 話


概  要

松山市立久谷中学校
国公私立の別      公立学校
設立年月日 昭和35年4月
校   訓 自主、努力、奉仕      
生徒数 233名 (H.28.6.2日 現在)
男子 115名   女子 118名
共学・別学 男女共学
教職員数 26名
所在地・連絡先
所在地 〒791-1133
愛媛県松山市浄瑠璃940番地
電話番号 089-963-10251608
FAX番号 089-963-4483
外部リンク 公式サイト


校区
      旧荏原村をすべて含む。面積は14.3平方キロメートルの田園地帯。ほぼ中央を御坂川が流れる。
      東は東温市、西は砥部町、南は坂本小学校校区に接する。幹線道路は土佐街道と言われた
      県道194号線と新しくできた207号線が南北を縦断する。史跡が多い。


規模  
  生徒数 288  
学級数 11(平成22年度)  教職員数 24名


教育方針
      豊かな心をもち、共に生きる生徒の育成



沿  革

荏原中学校のとき
     昭和23年(1948)、      6・3制教育法の実施により荏原中学校発足。

                     荏原小学校の南校舎階上8教室を改築使用。
                   同年5月、校舎新築。172坪。総工費75万円。旧荏原小学校校舎一棟三教室・
                   小使室と新築分を中学校校舎として移転。
   ・昭和26年(1951)9月、木造校舎(220坪)建築落成式。
   
・昭和27年(1952)4月、運動場(1.200坪)増設。
   ・昭和29年(1954)7月、講堂(227.7坪)建築。経費780万円。
   ・昭和31年(1956)9月、プール竣工。経費160万円。
   ・昭和32年(1957)10月、給食室完成。給食開始。

坂本中学校のとき
  
 
・昭和22年(1947)、6・3制教育法実施により、従前の高等科を廃止して3年制の坂本中学校を新設。
   ・昭和23年(1948)2月、新築地鎮祭。
   ・昭和33年(1958)10月、本館建築開始。
   ・昭和34年(1959)3月、新校舎移転。

久谷中学校設立のいきさつ
   ・昭和31年9月、荏原・坂本両村合併協議会において近い将来中学校を統合し、その位置を村境界付近と
    することを決議。
   ・昭和34年9月、村協議会において統合中学校の敷地を決定。
   ・昭和35年3月31日、荏原・坂本両中学校を廃校し、同年4月1日をもって統合久谷中学校を創設。
    荏原教場9学級   坂本教場5学級
   ・昭和35年11月3日、地鎮祭
   ・昭和37年3月31日、本館・特別教室・給食センターの落成式。
   ・昭和37年5月22日、給食業務開始。
   ・昭和37年8月15日、体育館の工事開始。
   ・昭和38年3月27日、体育館落成式。
   ・昭和47年7月、プール完成。

久谷中学校
   昭和35年1月荏原村と坂本村統合中学校設立を村会議において決議。これをうけて統合久谷村立久谷
             中学校を創立。4月に開校式と入学式を実施。

   ・昭和36年(1961)、第2・3期工事(特別教棟)着手。
   
・昭和37年(1962)、本館と特別教棟完成。校歌制定。
   ・昭和38年(1963)、体育館完成。校旗制定。
   ・昭和39年(1964)、池噴水と彫塑像完成。
   ・昭和43年(1968)10月、松山市立久谷中学校となる。
   ・昭和44年(1969)、「立志の碑」を校門近くに建立。
       ・昭和49年(1974)、文部省指定同和教育研究発表大会
   ・昭和50年(1975)、国旗掲揚台完成。
   ・昭和55年(1980)、創立20周年記念行事。
   ・昭和58年(1983)、校舎外装及び補修工事完了。
   ・昭和63年(1988)、北校舎内部改装工事完了。
   ・平成元年(1989)5月20日、柔剣道場完成。11月、創立30周年式典。「翔の像」を中庭に建立。
   ・平成4年(1992)、体育館完成。
   ・平成11年(1999)、プール改築工事完了。
               文部省指定「豊かな心を育む教育推進事業実践協力校」発表会
   ・平成15年(2003)、雨水タンク設置。
       平成19年(2007)、創立50周年記念行事。
     ・平成21年(2009)、創立50周年記念式典(11月3日
       ・平成22年(2010)、校舎新築中のため秋季運動会は荏原小学校で開催。
   ・平成25年(2013)、新校舎落成
 



校 歌

作詞  光田 稔

作曲  清家嘉寿恵

1 あの山が黒森 あれが三坂峠

  あのやさしさが わたしたちの母 あの雄々しさが ぼくらの父

  山のやさしさに わたしたちは 抱かれて育ち

  山の雄々しさに ぼくらは 励まされる
  ああ 美しい わたしたちの母校 久谷中学 


2 あの川が久谷 あれが重信川

  あの清らかさが 心を洗い あの広さが 心を開く

  川の呼ぶ声に わたしたちは 目ざめて育ち

  川の大きさに ぼくらは世界を見る
  ああ おおらかな わたしたちの母校 久谷中学

3 あの山の麓に あの川のほとりに
  遠い先祖の 汗と血が流れ
  父母の 思いがこもる
  母のやさしさを わたしたちは 心に刻み
  父の雄々しさを ぼくらは 受けて生きる
  ああ ほこらしい わたしたちの母校 久谷中学校

  

 学校の写真
平成22年(2010)に築後50年経過のため、校舎を建て直した。旧校舎と新校舎を紹介します。
左は取り壊し前。右は新しくできあがったもの。

正門前(校門碑は残っている) 校章が大きくなった
玄関前 両サイドの柱が堂々としている
南校舎 新しい南校舎
玄関内のホール 玄関内の生徒の靴箱に少々違和感
北校舎(右端は駐輪場) 渡り廊下の東側が残った(旧駐輪場から)
立志の碑(校門のすぐ右側) 同じく新しい校門の右側に移転
翔の像(中庭にあった) 校舎南側に移転
体育館と柔剣道場 体育館と校舎が合併
創立50周年記念(南側から) 新校舎全体像(右側が南)
設置された太陽光発電表示板 新校舎の職員室
新校舎の普通教室 1989年の授業風景(卒業アルバムから)



松山市立中学校一覧  

余 話 
 「創立20周年記念誌」からいくつか抜粋してみたい。卒業年度と氏名はアルファベットの頭文字とする。
   久谷中学校は荏原中学校と坂本中学校が統合されてでき上がったものなので、両校の思い出を
 載せる。氏名は名字をアルファベットで表す。

第1回 S24年度卒(K氏)・・・第2次世界大戦も激しさを増した小19年、20年、小学校5年、6年のとき
        である。勤労奉仕が多かった、先生に引率されて軍隊に出征された留守宅へ行き、田植え、
        田の草取り、稲刈りや麦刈の奉仕、また夏の炎天下重信川で飛行場の聖地に使う「うぐり石」
        拾い、馬の食料にする干草作り、食糧増産のいも作り等、勤労奉仕の続く日であった。

第2回 S25年度卒(N氏)…終戦直後の混乱期とはいえ一つの明るさは中学校へ全員が入学できる
        喜びではなかっただろうか。当時国民学校6年を終えますと高等小学校へ二年間進む生徒
        がほぼ全員に近い状態であり1クラスに一人か二人松山の公・私立中学校へ進学された
        生徒がおられたでしょうか。

第10回 S32年度卒(U氏)・・・私たちの学年は140名余り、3クラスで学年全体が友達同士でした。
        一か月の小遣をまとめて親からもらう「月給制」を全校的に取り入れ、新聞などマスコミに
        大々的に取りあげられ荏原中の名は全国に知らされました。その頃の一カ月の小遣いが
        三百円から五百円でPTA会費が二十円くらいだったかと思います。

坂本第5回 S27年度卒(N氏)・・・3学期の終わりには、卒業生を送る会とでも申しますか、今日の
        文化祭にも匹敵する催し、「学芸会」が行われました。これは1年から3年までの各クラスで、
        特別に出しものを考え、劇であれば生徒自ら演出監督し、本番まで10日ぐらい練習を重
        ねて、一日中みんなで楽しんだものでした。

坂本第8回 S30年度卒(A氏)・・・当時の坂本中学校は現在の小学校新校舎建設の地にあり、木造
        2階建ての校舎、運動場は小中が共用、生徒数二百にも足らないほどであった。
        今は無き小さな学び舎は私の脳裏に美しい絵となってやきついている。

筆者の思い出・・・小学校の4年生の頃だったろうか、学校から見に行った映画「白雪姫」がカラー版でその
            美しさに憧れてお金をためては市内で上映しているアメリカ映画を見に行った。当時の日本
             映画はすべて白黒で、古市橋を西に渡ったところに「太陽座」という映画館があった。筵に上に
             座って画面の荒い(雨が降ったような状況)映画を見ていた。佐田啓二、田崎潤、美空
            ひばり、嵐勘十郎、近衛十四郎等が印象に残っている。
                  中学3年生の時に見た「Shane」という映画が気に入って、3回も松山まで見に行った。
         Alan Ladd主演で脇役はJean Arthur, Brandon Wilde, Van HefflinだがなによりもVictor
                  Youngのテーマ音楽がよかった。今でも口ずさむことが多い。
        
               授業で思い出すのは、技術家庭科で牛や豚の種類を学んだこと。生徒の家の95%以上が
          農家だったせいだろうか。校舎は木造で、中庭に池があった。今はそのよすがもない。
              このころの卒業生の7割近くは就職していた。集団就職で関西方面へ行く者もいた。近江絹糸
            など人気があったように思う。
 
          戦後の昭和の時代、戦前や大正時代と変わらぬ生活様式が続いていた。いつから進歩が速く
          なったのかを考えると、どうも東京でオリンピックが開催され、新幹線が走り始めてから急激に変化
          が加速したように思う。昭和前期や大正時代の30年がオリンピック以降の1年に相当するだろう。


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