金毘羅(讃岐)街道

松山からの本来の讃岐街道は現在使用されている国道11号線とほぼ同じ道路である。久谷の場合は、目的地が
金毘羅さん参りなどのとき、本来の讃岐街道に合流する道路を便宜上金毘羅街道と呼んだにすぎない。

久谷における金毘羅街道は、土佐街道上にある恵原を起点として東温市上村に至る道路がそれにあたる。
重信川の北側にある旧道も金毘羅街道と呼ばれ、現在の国道11号線も多少昔と異なった道筋だが、これが松山を
始点とする本来の讃岐(金毘羅)街道である。たまたまこの主街道に合流する支流のような街道が金毘羅街道と呼ばれ
たにすぎない。

以下、地図などを使って示しておく。
地図の上の番号と画像の下にある番号で照合してください。

                                              (画像上でクリックすると、大きな画像が出ます)

 1・2と3・4の間に堀で囲まれた荏原城跡がすぐ目につく。  1 荏原における金毘羅街道の起点。伊予鉄バス停
    「恵原」が右側の木の前。
 2 起点から道路を遠望。  3 重要文化財渡部邸にある金毘羅街道の道標。
   「こんぴら大門より二十九里」と書いてある。
 4 渡部邸から金毘羅街道を遠望。  道路はしばらくはほぼ一直線に伸びている。
 5 途中で二股の交差路に出会う。
  左側は新しい道路で、街道は右を選ぶ。
 池の土手などやや不自然な道路がある。
 6 徳川神社が視野に入ってくる。  7 昔ながらの狭い道路。
 8 交差点に行き当たるが、ここを左折。  9 赤い橋のかなたが伊予郡・川内線(県道23号)で
     ここに合流する。このまま直進する。
 上の画像9をまっすぐ進み伊予郡・川内線を横断し、
 さらに直進。橋の手前で左折する狭い道路をとり、
 重信川を渡ると別の金毘羅街道に合流する。
 重信川にかかる「うえむらおおはし」の北に向かって
 左側の道路をしばらく行くと橋のなかった時代の堰堤
 の名残がある。彼方の草むらの中に続く。
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