常 夜 灯

常夜灯とは

そのほとんどは、今から約二百年前、村や小集落(組や小字)の中心地や境などやや広い場所に、
地元の人たちが自然石を組んで建立した。権力者の命に基づくものではない。組の人たちが順番
に明かりを灯したり、家内安全や村内(組内)安全を祈ったという。農耕や行事など、大切な相談や
祀りを行う聖空間(浄域)でもあった。その証として今も神事用の注連縄が使われている。
今も地域の子供たちが行う「亥の子」も常夜灯から始めるし、祭りの神輿もここで神事を行う。


常夜灯から連想する夜間の交通安全や防犯を目的とする現在の街灯とは意味が違う。むしろお地蔵
さんとともに庶民の暮らしの心の在りかを象徴するものだったというのが適当だろう。現在も神輿が
休憩する御旅所となっているのはその名残であろう。


夜間灯すのは菜種油か蝋燭だが、江戸時代は結構値がはる。したがって、大切なとき以外は灯さな
かったと考えられる。

明治に入ると蝋燭も安くなってきたが、それでも毎晩灯したわけではない。昔の人は、日が沈むと家
にこもり、夜間出歩くことはまずなかった。


明治後半以降にかけて新しく作られた常夜灯には、自然石ではなく細工されたものが多い。映画に
出てくる常夜灯はほとんどが大正か昭和期のものである。


荏原・久谷両地区に存在する常夜灯の形は個性豊かである。見飽きが来ない。


文字と向き
愛媛県では旧松山藩領の街道筋、道端のやや広い場所に常夜灯が残っている。道の拡張などに伴い
移転したものが結構多い。常夜灯に刻まれている神様の名前は、一つの場合もあるし、三つぐらいの
場合もある。その神様は、主として、金毘羅神社、石鎚山、八幡宮、氏神、三島神社、天照大神など。


付記  (2016.1.20)

知りあいの方から以下のような内容をブログで知った。 原文のまま載せる。
「久谷の里山(写真のページ)」に掲載されているマップです。金比羅神社の常夜燈が載っていなかったので
加えました。訂正は記事を作りながらボチボチ進めていくので、完成形はしばらくお待ちください。)

しかし、私はこのアイデアに賛成できない。なぜならウイキペディアの常夜灯の項にも次のように定義され
ている。
「夜道の安全のため、街道沿いに設置されている常夜灯は、現在で言う街灯の役目を果たしており、街道の
道標として設置されているものが多い。港町などには灯台の役目をした大型の常夜灯が設置されている。
集落の中心や神社などの常夜灯は信仰の対象として設置されている。」
したがって、私も原則に照らし、神社境
内にあるものはここに掲載しない。
知りあいの方が示した場所で私が撮った写真がこちら。



なお、この件について常夜灯に詳しい田中さんの意見を仰いだ。彼が言うには「常夜灯、ご神灯、
奉燈の区別の定義はあまりしなくてもいいのでは。昔、地域によって考え方が違ったとも考え
られる。」というご意見だったことも付け加えておきたい。



左の写真に見えるように、石に「金」「三」
「石」という文字が見られる。
「金」は金比羅さん、「三」は三島神社、
「石」は石鎚さんを意味する。
これ以外に、「氏」があるがこれは氏神
さんのこと。
そういったものを大切にして家内安全や
組内の安全を願ったものであろう。
常夜灯は、本来、石に刻まれている
金比羅山、三島神社、石鎚山、氏神さん
の方向に向けられていた。

旧荏原村の常夜灯と所在地

アラビア数字は西暦による建立年を示す。

高尾田東
  文化九年(1812)
上野中組
  文政六年(1823)
西 野
  明治元年(1868)
恵原町新張
  明治十二年(1879)
恵原集会所  
  文化十三年(1816)
東方矢谷
  天保四年(1833)
東方井関    
  弘化三年(1846) 
東方岡本   
  安政二年(1855)
東方町組   
  文化五年(1808)
東方六丁   
  嘉永二年(1849)
東方柿木 
  享和三年(1803) 
東方政友
  昭和十六年(1941)       
 小 村   
  製作年月日不明 
津吉三本木   
  明和五年(1768)
津吉集会所前  
  製作年月日不明
津吉中組  
  万延元年(1860)
津吉徳川神社  
  大正四年(1915) 
中 野   
  弘化三年(1846)



荏原地区の常夜灯一覧表

町 名    小字名   表書き              建立年(西暦年)       
上野町 中組 奉献 石金八夜燈   文政六年(1823) 
上野町 東高尾田 常夜灯 石八金 文化九年(1812)
恵原町 恵原集会所前 常夜灯 金 文化十三年(1816)
恵原町 新張城跡 常夜灯 金石氏 明治十二年九月吉日(1879)
西野町 西野集会所前 常夜灯 村中安全 慶応四年(1868)
東方町 矢谷(野中家横) 常夜灯 石三金 天保四年(1833)
東方町 井関(大屋敷家横) 常夜灯 金三石 弘化三年(1846)
東方町 岡本(川本家横) 奉燈 石三金 安政二年(1855)
東方町 町組(集会所内) 常夜灯 石金 不明
東方町 六丁(集会所内) 奉燈 嘉永二年(1849)
東方町 柿木(山中家横) 常夜灯  文化二年(1805)
東方町 政友(集会所内) 奉燈 昭和十六年(1941)
小村 稲荷神社境内 奉燈 金石稲 不明
中野町 三本木(森家前) 奉燈 氏石金 明治二十五年(1892)
津吉町 北集会所前 徳川宮 組中安全 大正十二年(1923)
津吉町 中組・みどり園の北側 奉燈 石金 万延元年(1860)
津吉町 徳川神社参道東 奉燈 村中 大正四年(1915)
中野町 中野中央(光田家横) 常夜灯 金氏石 弘化三年(1846)
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