坂本地区の御坂川に架かる橋
浄瑠璃町、窪野町の沿って流れる「御坂川」にかかる橋を眺める。
上流に向かうと川幅が狭くなるせいか、実に数が多い。
「矢谷橋(やたにはし)」
この橋に銘板はない。
「出口橋(いでぐちはし)」
ここは土佐街道でも三坂峠方面と久谷地区へ行く分岐点にあたり、重要な場所である。
そのため、明治23年には県庁からの命令があって、竣工をはじめ、明治45年3月
現在は上図の修築以来のままの姿である。
「関屋橋(せきやはし)」
橋の記録は村史に見当たらない。
「小西橋(こにしはし)」
この橋の歴史は新しい。昭和42年10月発行の村史に見当たらない橋である。
「上関屋橋(かみせきやはし)」
これも比較的新しい橋で、村史には記録がない。
「榎橋(えのきはし)」
この橋は昭和36年に鉄筋化されている。銘板から読み取ると、昭和51年になっているが、これは欄干の付け替えと思われる。
また昭和36年の記録では、石垣とコンクリート混合で、長9m、幅3mに完成
「新榎橋(しんえのきはし)」
銘板に「新」がついているから歴史的にも新しそうだ。前方に見える建物は「榎集会所」。
「銅釜橋(どうかまはし)」
この橋の向こう側が土佐街道。手前で左へ行くと「網掛け大師の岩」に至る。
右に行けば、古い遍路道で途中に馬頭観音がある。
「梅ノ瀬橋(うめのせはし)」
竣工した日が読み取れない。カメラの原版でみると昭和58年3月完工と思う文字である。
ここを少し南へ行くと、古い遍路道が道路左側にある。
この橋は昭和33年に石垣とコンクリート混合で、長さ8m、幅4.1mに完成の記録がある。
「桜橋(さくらはし)」
地元の方はここから南にある橋はすべて「さくらはし」になるらしい。ここを起点1号と
この橋はもちろん村史に出てこない。
この橋をしばらく先に行くと、窪野町南端の「桜」という集落にたどり着く。
「穴田橋(あなだはし)」
村史では「木桁、土橋」製で長さ5.5m、幅幅4.1m、完成は昭和29年となっている。
上の写真からその後昭和41年3月に改修されたことがわかる。
この橋は別名「桜2号はし」。
「小堀越橋(こぼりごえはし)」
制作年月日などは不明。
この橋を越えて前方へ進むと、久谷地域に出る。
「桜四号橋(さくらよんごうはし)」
写真下の右側が本来の道。現在改修中。
この橋のすぐ上に桜という地名の集落がある。この橋が御坂川の終点。