坂本地区の御坂川に架かる橋

浄瑠璃町、窪野町の沿って流れる「御坂川」にかかる橋を眺める。

上流に向かうと川幅が狭くなるせいか、実に数が多い。


「矢谷橋(やたにはし)」

この橋に銘板はない。 最初の写真の前方に見えるのが、久谷中学校である。

「出口橋(いでぐちはし)」

ここは土佐街道でも三坂峠方面と久谷地区へ行く分岐点にあたり、重要な場所である。

そのため、明治23年には県庁からの命令があって、竣工をはじめ、明治453完工した。

現在は上図の修築以来のままの姿である。なお上の図の完成日の記録では、鉄筋コンクリート製、長さ19.5m、幅4.5m。


「関屋橋(せきやはし)」

橋の記録は村史に見当たらない。

「小西橋(こにしはし)」

この橋の歴史は新しい。昭和42年10月発行の村史に見当たらない橋である。


「上関屋橋(かみせきやはし)」

これも比較的新しい橋で、村史には記録がない。

「榎橋(えのきはし)」

この橋は昭和36年に鉄筋化されている。銘板から読み取ると、昭和51年になっているが、これは欄干の付け替えと思われる。

また昭和36年の記録では、石垣とコンクリート混合で、長9m、幅3mに完成したとなっている。

「新榎橋(しんえのきはし)」

銘板に「新」がついているから歴史的にも新しそうだ。前方に見える建物は「榎集会所」。

「銅釜橋(どうかまはし)」

この橋の向こう側が土佐街道。手前で左へ行くと「網掛け大師の岩」に至る。

右に行けば、古い遍路道で途中に馬頭観音がある。


「梅ノ瀬橋(うめのせはし)」

竣工した日が読み取れない。カメラの原版でみると昭和58年3月完工と思う文字である。

ここを少し南へ行くと、古い遍路道が道路左側にある。

この橋は昭和33年に石垣とコンクリート混合で、長さ8m、幅4.1mに完成の記録がある。

「桜橋(さくらはし)」

地元の方はここから南にある橋はすべて「さくらはし」になるらしい。ここを起点1号と考えれば、坂本屋の下の橋がなぜ「桜四号橋」なのかの説明がつく。

この橋はもちろん村史に出てこない。

この橋をしばらく先に行くと、窪野町南端の「桜」という集落にたどり着く。


「穴田橋(あなだはし)」

村史では「木桁、土橋」製で長さ5.5m、幅幅4.1m、完成は昭和29年となっている。

上の写真からその後昭和41年3月に改修されたことがわかる。写真の前方にある三角形の山は「勝山」。御坂川も狭くなってきた。

この橋は別名「桜2号はし」。


「小堀越橋(こぼりごえはし)」

制作年月日などは不明。

この橋を越えて前方へ進むと、久谷地域に出る。

「桜四号橋(さくらよんごうはし)」

写真下の右側が本来の道。現在改修中。

この橋のすぐ上に桜という地名の集落がある。この橋が御坂川の終点。

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