久谷地区の河川に関する資料

川について調べてみると不思議なことがいっぱい。まずは下の村史に書かれている記事。
御坂川は一文字も出てきません。久谷川のみである。


国土省の資料で調べてみると以下の図のようになっている。
赤で囲んだところは御坂川、青は久谷川の表記。



「御坂川」で調べると下図のように青線で示される。


同様に「久谷川」で調べた結果。


次に、村史の中に出ていた大正11年(1922)に坂本村が高知の営林署に申請した地図のコピー
がある。(下図参照)これを見ると、現在の砥部町高尾田あたりで合流している今の御坂川は
当時「久谷川」と呼ば
れていたようである。

 いつから久谷川の呼称が御坂川になったのか。また、現在の表記が「出口(いでぐち)」は
地図では「井手口」となっている。これもいずれ調べてみる必要がある。

河川の呼称変更について国の出先機関の国土交通省に尋ねると、「河川管理は県の河川課だが
面白いので、こちらで調べて返答する」とのことだった。


メートル法が公布されたのが1886年(明治19年)であるが、それ以降も何かと
扱いにくかったであろう。
そのことを差し引いても、下の文書は明治期のものと思われる。ここでははっきりと、
久谷川と三坂川の区別をしている。



なお、不明な点も残るので県の河川課に問い合わせて頂いた回答も併せて掲載しておく。

「拝啓 メールをいただき、ありがとうございました。

 また、お問い合わせの件について、過去の経緯等の調査に時間を
要したため、御返事が遅くなりましたことをお詫び申し上げます。

 さて、砥部川及び御坂川は、本川である重信川とともに、昭和4年
5月1日に旧河川法に基づき、認定されております。御坂川の支川で
ある久谷川も、昭和35年3月31日に旧河川法に基づき、認定されてお
ります。砥部川、御坂川及び久谷川として認定された河川の上流端
(起点)及び下流端(終点)は、別添ファイルのとおりです。

 なお、河川名は、地元で呼ばれているものと認定(現行河川法では
指定)されたものが違うこともあるようですが、地元でいろいろな名前
で呼ばれること自体は、差し支えありません。ただ、河川管理上は、
お尋ねの河川について、それぞれ上記の時期から、それぞれの河川名に
なったということになります。

 おって、御不明の点がありましたら、河川課河川行政係(089-912-2671
まで御連絡くださいますようお願いします。

                             敬具

 平成27年5月7日

  大森 理 様

          愛媛県土木部河川港湾局河川課長 参川 好記

 ―――――――――――――――――――――
  愛媛県土木部河川港湾局 河川課

   〒790-8570 愛媛県松山市一番町4丁目4-2
   TEL: 089-941-2111(代表)
     089-912-2670(課直通)
   FAX: 089-948-1475
   E-mail: kasen@pref.ehime.jp
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別添ファイル

砥部川、御坂川及び久谷川の上流端(起点)及び下流端(終点)

河川名

左岸

右岸

上  流  端

下流端

砥部川

左岸

伊予郡砥部町大字川登字十郎甲2293番地先

重信川への合流点

右岸

伊予郡砥部町大字川登字十郎甲2285番地先

御坂川

左岸

松山市久谷町寅次郎乙981番の1地先

砥部川への合流点

右岸

松山市窪野町砥石場甲2212番地先

久谷川

左岸

松山市久谷町上の向井甲2037番地先

御坂川への合流点

右岸

松山市久谷町コンボ甲2035番地先

 敬具」

これで見る限り、久谷川はやはり御坂川への合流点、すなわち出口橋の上流460mで終点となる。

 


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