八百八狸伝承

久谷の八百八狸の伝承

はじめに

狸は極めて東洋的な動物である。東洋、それもなかんずく日本的な動物である。
日本人にはとりわけなじみが深く、小さい頃からなんとなく親近感を抱いてきた動物である。

  愛嬌いっぱいの我が家にいる狸   ご近所の玄関にいるお狸さん

私が子供のころ、親から聞かされた化ける動物は狐(狡猾なイメージ)、猫(化け猫)、
蛇(ヤマタのオロチの類)、河童(妖怪)がある。狸は人間にあまり害を与えず、
茶番的で子供から老人にいたるまで愛された七変八化けの術を持つものとして人間と
交流していたようである。
 

日本三大狸話というのがある。

一つめは、千葉県
木更津市の「証城
寺の狸」。
童謡で有名。
二つめは、群馬県
館林市の「文福茶釜
の狸」。童話でなじ
みが深い。
三つめは、わがふる里
松山市久谷の里の「八百
八狸」。

そして現在も保存会により年数回、地域・市・松山まつりで踊りが披露されている。
(踊りの写真は田中瞳さんの提供)

平成19年、市内高島屋で上演した八百
八狸踊り
地元で上演したときの隠神刑部狸
お袖狸 地元の上演は毎年[大黒座]という場所で
行われる


 

八百八狸について

久谷地方では、「金平狸」「隠神刑部狸」がつとに知られている。松山で名が通っているのは、

   六角堂狸(勝山町)   毘沙門狸(東雲町)

ほかにおさん狸、おみつ狸、源七狸、お茶屋狸、小女郎狸、宝蔵印の狸などがあり、調べてみると
10指にあまる。


四国には狸が多いが、その総領は「金長狸」(きんちょうだぬき)といって、阿波(現在の徳島県)名東郡田浦
に住んでいたようである。

他の狸と異なり、
とぼけた愛嬌の
ある顔ではない。
目つきが鋭く、
阿波狸合戦を
勝ちぬいた風貌
がある。
(写真はネットから借用)

さて、この狸であるが、人間との関わりには2説ある。

その1つは、弘法大師が四国88ヶ所を開基されたとき、狐は狡猾で利巧過ぎて具合が悪い。
そこで四国から一匹残らず追い払い、代わりに頭は少し弱いが正直で明るい狸を布教に利用
することにして可愛がった、というもの。

2番目は、1336年、湊川の戦で楠正成を自刃に追い込んだ武将の大森彦七が足利尊氏
に伊予の砥部荘に所領をもらった。そのときに備後(広島県東部)から彦七についてきて
伊予に移り住んだ、という説。これだと、伝説上の狸はよそ者、ということになる。

今は、第1説に軍配が上がっているようだ。

「隠神刑部狸」いぬがみぎょうぶだぬき)とは伊予(愛媛県)に住んでいた八百八狸を統括
していたボス狸の名前である。

ボスとして貫禄あるメタボの
隠神刑部狸左手に「通」と
書いてある。
御用聞き帳、右手は一升
徳利に紐をつけている。
背中に笠をしょっている。
何を仰ぎ見ているのだろうか。
 八百八狸が閉じ込められたとおぼ  しき山口霊神の奥

この隠神刑部狸のもとで狸たちが人にいろいろ悪さをします。業をにやした松山藩家老の
奥平久平衛は飛騨(岐阜県)高山から武術に優れた後藤小源太という名の武士を呼び、
久万山(久万高原町)の古岩屋に住む狸退治を依頼しました。

数々の戦いの後、狸たちは負けて後藤小源太の家来になります。

一方、家老の奥平久平衛は松山藩をのっとろうと計画していました。狸退治で家老の依頼
を受けていた後藤小源太と狸たちはやむを得ず、悪巧みの一味に加わります。

他方、家老奥平久平衛の姦策を阻止しようとする侍たちは、広島から山内武太夫(ぶだいゆう)
を呼び寄せ、狸退治を依頼します。
 

武太夫は、たびたび苦しめられますが、小さいときから信仰していた宇佐八幡菩薩から
授かった不思議な杖で狸を負かします。そして、隠神刑部をはじめとして八百八狸を久万山
のふもとにある坂本村久谷中組に閉じ込めてしまいました。その場所が「山口霊神」だ
といわれています。

しかし、あるとき隠神刑部は閉じ込められていた洞窟から抜け出し、地域の人たちに善行を
重ねたため、後々慕われて山口霊神として祀られ、今日に至っている。

山口霊神はその名のとおり、神様であり仏様です。毎年3月15日に仏式で春祈祷が行われ、
4月29日には神式によるお祓いが地元の人や信仰者により執り行われている。
(祭りの写真は田中瞳さんの提供)

 2014年9月21日現在、ふと見ると新しい子狸が
 右から2番目に。赤ちゃんがいつのまに?
   山口霊神
    隠神刑部狸の横で太鼓も      狸踊り
 八百八狸碑    山口霊神の場所

リンクはこちらです。 https://www.google.com/maps/d/u/0/edit?mid=1oRAFqSb3ZqtPrRlYG5DO6zsFuUAruQPb&usp=sharing

 

「金平狸」

この名前の狸は2ヶ所に存在していて、初めて名前を知った人はとまどう。

1つは、久谷町にある金比羅神宮に祀られている「金平狸」。
もう1つは、上野町にある大宮八幡神社にある「金平狸」。
 

   金比羅神宮    大宮八幡神社

 

昭和の時代、狸に関する伝説に精通していた方に富田狸通(とみたりつう)さんや郷土史
に詳しい大西さん(名前不詳)によると、久谷町の金平狸が宗家であり、33匹の子を
もうけていた。上野町の金平狸はその内の一匹で、分家だったが、父の姓をもらって
金平さんとなった。

多くの子供の中では一番世事にたけ、人に好かれたので本家をしのぐ勢いを得たようである。


まずは、久谷町の金平狸について。

その昔、坂本村の出口(いでぐち)というところに大火事があった。日は一夜にして地区を
焼き尽くしたとき、金比羅大権現から以後出口にこのような火事が起きないよう地区を
守れと命じられたのが金平一族。

その一族が丸山神社(金比羅神宮)に住まわせてもらって地区の守護神として活躍すること
になった。

現在も8月15日のお盆の日に「金平・花大明神まつり」が行われ、神職を向かえて神事の
後盛大な餅まき、お神酒などがふるまわれる。
 
(祭りの写真は田中瞳さんの提供)

 金平狸の前で神事  金平狸たち
 神事に訪れた人たち  金比羅神宮での餅まき

  

次は、上野町の金平狸について。

ここに住んでいた金平狸はハンサムであるばかりでなく、読み・書き・算盤が上手で伊予狸族
の中でも学者狸として大きな存在だった。また宮司の大西家によく仕えて重宝がられた。

宮司の大西家の人が暗夜帰宅するときは、定紋の入った提灯をさげて出迎えをした。また
荏原の人にも親切で、迷子の世話から病人のお使いや老人をいたわる心の優しい狸だった。
そのため大明神の位を得て信仰を集め、現在の大栢の根元に立派な堂宇とおこもり堂を建てて
もらい、金平狸として金森大明神の徳をたたえている。
今も大宮八幡神社の北側のある場所
に家族で本物の狸がすんでいる。 

野の金平狸
なでる訪問者が多く、肌がつやつやしている。
 金平さんのいる境内 (門のすぐ右に像がある)
     市教委による案内板 松山市保存樹木のイブキビャクシン

 

この狸の奥さんが松山市役所前にある八股大明神「お袖狸」で、

学問は苦手だったらしく、おしゃれ好きでにぎやかな場所を好んだ。そのため家を出て、
やがて松山の城堀端の大榎のふもとに住みついた。今の松山市役所前である。

お袖狸は今で言う看護師さんのようなことをしたり、お産のお手伝いなどをして生涯
この地で過ごしたという。

            (上の写真右のお袖狸はネットから借用)

人々はやがてお袖狸を八股大明神としてあがめることとなる。

理平狸と真理狸(余話)

昭和48年(1973)札幌市狸小路商店街でその地域の100年の発展と「第20回狸祭り」を記念して、夫婦
狸が祀られた。

そのとき、松山市の八百八狸の「山口霊神」から使わされた本陣狸、千葉県木更津市の「証誠寺」の萩乃
狸一族の霊を受けた「かずさ御殿」が札幌で結婚したそうである。

本陣狸の労をとったのは狸博士で有名な富田狸通氏、かずさ御殿の労をとったのは証誠寺の和尚さん。
媒酌人は札幌市長さん。
その夫婦は「本陣狸大明神社」となり、昭和51年(1976)に「鶴の宮・藻里豊姫(もりとひめ)」が誕生。また、
数年後「真理」が誕生。平成13年(2001)2月、松山を来訪。そこで理平という狸と恋仲になり、めでたく
結ばれて、今も松山にいるという。


 札幌にいたころの真理狸
  (画像はネットから借用)
 松山の市街地にある理平狸



その他のお狸さん

東温市立歴史民族資料館としげのぶ清愛園が
交差する道路の北に向かって左側(清愛園)の
すぐ東側に可愛いお狸さんがいる。
これがはたして久谷のお狸さんと関連がある
のかどうか分からないが、いちおうここで
紹介
をしておきたい。
このお狸さん、山口霊神の隠神刑部にそっくり。
伊予市の田上山へ登る途中に設置されている。
この狸も久谷地区、あるいは松山の狸伝承となんら
かの関係がありそうだ。
51番札所の石手寺境内にあるお狸さん。
宝物館のある敷地の出口近くにたたずんでいて、
気をつけないと分かりにくい。
こちらは出口のすぐ左側にあって、像も大きく
人目につきやすい。
内子町にある有名な「内子座」の近くの「松之屋」と
いう旅館の玄関横に鎮座しているお狸さん。
八坂寺近くの民家の玄関先に設置されている
かわいらしいお狸さん。
この民家の周辺には野生の狸が出没する。
毘沙門狸
松山市内市坪の玉善寺に祀られている。
玉善寺にある毘沙門狸の由緒書き。
明治17年に東雲神社入口にあった毘沙門堂が
ここに移され、椿神社のお祭りの帰りがてらに
数多くの人がこの場所をついでに詣でたらしい。
大狸  東温市西林寺
松山観光コンベンション協会の説明は「東温市
西林寺に住むとされる大狸は、手にタコを持つ
といわれています」となっている。
実際は写真に見るようにいかにも遍路狸らしく
手に托鉢を持っている。
同じく西林寺の本堂横にあるお狸さん。
人知れない場所にいるから、お目に
かかった方も少ないだろう。
屋島大三郎狸  香川県屋島寺
日本三大狸(佐渡の団三郎狸と淡路島の
芝右衛門狸)の一つ。善行をつんだらしい。
屋島寺にある。(田中睛さん提供)
こちらは大三郎狸の妻。
この狸さんについてはよく分からない。
しかし、夫婦仲はすごくよかったそうだ。
お紅さん狸 椿神社
ここに祀られているらしいが、それらしき像は
見つけられなかった。
三光姫狸 松山市高井八幡神社
日清・日露戦争に村人一緒に参加して、
兵隊さんを守ったといわれるメス狸さん。
別名「おさん狸」。高井八幡神社境内の
東側で別に祀られている。
 県道194号線にある八坂寺前バス停から
 寺に向かって50mほどの民家の入口に
 ある親子の可愛いタヌキ家族。
 「灯台下暗し」とはよく言ったもので、我が家の 
 前の家の庭にガマと並んで鎮座していた。
恵原町、八塚で見かけた道路端のタヌキの親子。 恵原町の民家、玄関先で。
同じく恵原町の民家、玄関先で。 伊予市谷上山「宝珠寺」入口で見かけたもの。
東方町の民家でお留守番している狸さん。 伊予市市場のうどん屋さんの玄関横で。
 内子町小田の役場前で店番。  同じく小田のお好み焼屋さんの棚にいた小柄な狸さん。
これも今回田上山の広場で見つけたもの。 47番札所八坂寺から100m下がった民家の庭に。

 

参考文献

金平・花 由来記  伊予郷土史研究会  伊達泰介
久谷村史           久谷村史編集委員会
久谷界隈はええとこぞなもし エーシー  山野芳幸
ふるさと坂本      明朗社       坂本公民館

参考地図 

   

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