昔の民具・雑貨・その他
民具の写真は各学校の資料室及び県内外の民族資料館資料室に保存してあるものを主に参考とした。
なお、一部は自分が所有しているものもある。これらの民具は戦後の昭和30年代まで使われたものも
多数ある。
なお、分類は自分勝手にしている。不都合や不適当なところがあるかもしれないことをお断りしておく。
台所用品
石臼。穀物を挽く。 | 一斗升。ほぼ15kgのコメを保存する。 |
飯櫃。炊いたご飯を保存した。 | かまど。土間に設置。 |
釜とヤカン | 桑折弁当箱(「こおりべんとうばこ」)。 やがて製品はアルマイト製に代わる。 |
筆者が昭和40年頃まで使った「アルマイト製 弁当箱」。おかずの汁などが漏れないように パックでふたをするおかず入れが一緒だった。 |
おひつ。ご飯を保存しておくもの。 |
七輪といって鍋などを置いて料理したり、魚な ども焼いた。マツタケは最高だった。 |
松山では「したみ」といって炊いたご飯を夏場に 保存する。ハエや虫が来ないように薄い布を かけることもあった。 |
ライターが普及するまで使われた安全マッチ。 上は昭和36年で木軸の頭に発火燐があり、 下は昭和44年のもので材料は紙。 |
氷冷蔵庫。氷を上の棚に入れ、冷気で下の食品 を冷やした。昭和30年代まで使用。 |
井戸枠と釣瓶。島では昭和20年代まで使用。 | 手桶と柄杓。井戸から汲んだ水を運ぶ。 |
箱膳とも呼ばれた。一人分の料理が おかれ、昔はご飯以外は2皿が普通 だった。 |
戦前戦後の昭和時代からほぼ昭和30年代まで 家族が座って食事をしたテーブル。ちゃぶ台と言った。 |
砥部町の道の駅「峡の里」で見つけたしたみ | 土瓶(どびん)という。ふだんから火鉢の上に おいて、お湯を沸かした状態にする。 |
今も我が家で現役の五合升。母が使っていた。 製造は戦前のものだろうか。 |
暖房関係
火鉢。これは片側があらかじめ削ってある。 | 木製火鉢。中に灰と炭火を入れる。 |
扇風機。戦前なら裕福な家庭しかなかった。 | けしつぼというもので火のついた炭などをこれ に入れておいて、再度利用した。 |
足袋。寒い冬によく履いた。 | ばんどことも呼ばれた陶器製のこたつ。 中にある箱に火のついた炭やたどんを入れ、 藁灰で覆う。 布団の中に入れるが、灰が飛ぶことが多く、 気をつけなければならなかった。 |
その形から丸山型電気こたつといわれ、 昭和4年から製作が始まったらしい。 わが家で使ったのは戦後しばらくたってから だった。昭和40年代まで使った記憶がある。 |
既述の2つの暖房機に変えて、時々図にある 湯たんぽに熱い湯を入れ、タオルなどでくるん でこたつ代わりに使用した。 |
渋団扇とよばれた丈夫な団扇。夏は風を送り、 竈の火をあおり、万能だった。丈夫で長持ちした。 |
戦前の電気こたつ |
隣家の方がお持ちしてくれた火鉢。 中もきれいで火鉢として使った様子がない。 |
左の火鉢の横顔だが、最初中国製の景徳鎮かと思ったが、 裏にらく印がないので多分有田焼かも知れない。 床の間などの飾り物だったのでは。 |
照明
石油ランプ | カーバイトランプ。カーバイトに水を加えて 発生するアセチレンガスに火をつける。これを つかって夜、鰻を取った記憶がある。 |
ランプと時計 | 戦後も長く使われた一般的な家庭の電気。40- 60Wが主だった。 |
小皿に菜種油を入れて、灯心と呼ばれるイグサに 火をつける。戦後間もないころまで五右衛門風呂 のある風呂場で使っていた記憶がある。 |
「手燭」。懐中電灯の代わりのようなもの。 |
ろうそく立て | 提灯(中にろうそくを立てて足元を照らす)。 |
寝具・化粧・衣類
蚊帳。「かや」。昭和40年代まで使用した。 | 蚊帳の中。団扇や蚊取り線香が見える。 |
安土枕(女性用) | 櫛(左上は解櫛、下は結櫛、右が梳櫛 |
石油アイロン。丸い容器に灯油を入れて着火し、 下のねじで火の加減をする。 |
アイロン。中に炭火を入れた。 |
バスケット。外出時に物を入れる。 | こて。火鉢でぬくめて、着物などのしわを取る。 |
化粧箱(普通は鏡台が付く) | 簪。かんざし。女性が結った頭にさす飾り具。 |
右上の簪とは年代が異なるようだ。 | 女性が頭の髪を梳いたり、切ったりする「くし」と はさみ。 |
伸子針(「しんしばり」。丸く削った細い竹の 先に張りがあり、洗い張りした布の両端に あてて干す。 |
洗濯桶と洗濯板。板の上でごしごし洗濯ものを 洗っていた。冬など子供の多い家庭の主婦は 大変だった。昔の女性は、辛抱強かった。 |
昭和38年頃に初めて買った洗濯機とほぼ同型。 隣の奥さんが「あなたの洗濯を毎日するから、 内に置かせてくれ」と頼まれ、1年間洗濯する ことがなかった。右のハンドルで洗濯ものを しぼる。 |
しんし(信子)という。細い竹の両端に針のよう なものがあって、生地の両端に指して、洗い 張りした生地がしわにならないようにする。 |
女性が使った昔の鏡。 | 手編みミシン(右手で回しながら縫う。昔の人は 実に器用だったんですね。 |
「行李鞄」(こうりかばん)という。 旅行に用いた。中津民俗資料館から。 |
一般的な箪笥。中津民俗資料館から。 |
学用品
昭和29年に買ったセルロイド製の筆箱。 店の方が名前を彫ってくれた。 |
一番下は昭和20年代のペンで、先にペンを 挿入する。インク壜につけてから書く。 真ん中はペン先が傷まないようキャップがつく。 上はペンでなく、細い針のようなものでインクは カートリッジになる。 戦後間もないころはガラスペンだった。 |
私が今も持っている古いインク壜。 昭和30年代のもの。 |
昭和時代の小学生帽。特色は桜のバッチ。 |
中学になると白線一本が入る。 | 高校になると白線が二本に増える。 |
大学帽は帽子の上が四角になる。 私が使用したもの。 |
昭和30年代に使われていたイギリス製のタイプ ライター。肩がこり、指も疲れた。 |
昭和50年代の電動タイプライター。 IBM製は文字種類の交換ができた。 |
「矢立」。昔の筆記用具。 |
初期の計算機(年代不明) | いつ頃の教科書だろうか。 |
遊び・趣味
縁台。ここに座って話や将棋・碁を楽しんだ。 | 蚊遣豚。縁台の近くに置いて蚊を避けた。 |
「メンコ」とこま。 | 煙草入れ(きざみタバコを入れて、マッチがない 時には焦点レンズで太陽光から火をつけていた のを見た記憶がある)。 |
その他
大蓑。雪や雨よけの上着。 | お針箱。縫物に必要なものがすべてこの箱に 入っていた。 |
箪笥と手前の白いのは行燈(「あんどん」)。 ろうそくの明かりはどれくらいの照度があった のだろうか。 |
昭和28年頃、叔父が買った14インチテレビが これと同じ型だった。毎晩のように近所の人が 見に来た。 |
踏み台ミシン。昭和40年代には一般の家庭にも 普及していたようだ。 |
五衛門風呂の釜。子どもなら二人が入れた。 鉄板に触れないように細心の注意が必要。 |
五右衛門風呂に使うふた。 | 五衛門風呂に使う底板。松山地方では中央に 熱さを循環させる穴が開いていた。 |
貴重品箱 | 算盤。手前が日常使われていたもの。 |
大正時代の郵便ポスト | 「くけ台」という。右の丸い部分に必要な針を さしておき、縫物に使う。左に板の部分には 座布団を敷き、その上に座る。 |
「くじら尺」といわれる物差しで、着物の仕立て に使う。長さは一尺2寸五分(約37.88cm)の ものとその倍の76.76cmのものがあった。 「くじら尺」は昭和34年(1959)のメートル法公布 までの長い間使われた日本独特の尺貫法に 基づく長さ。 1尺はほぼ30.3cm。 |
肥後の守という小刀で、子供はほとんど所持し、 鉛筆削り、その他日常生活に欠かせないもので いつもポケットに入っていた。 |
ある時期に決まって富山から大きな荷物を 背負って、家庭においてある薬箱の中身から 必要なものだけ入れ替える商人がいた。 越中富山の薬売り、といった。 この薬箱にはたいていのものが常備されていた。 |
万金丹で解毒や気付け薬。子供のころ「越中富山 の反魂丹。鼻くそ丸めて万金丹。それを飲むやつ アンポンタン。」とよく歌っていた。 箱には貝に入った目薬、熊の胆、かぜ薬、切り傷 用など数多く入っていた。 |
洗面器。アルマイト製。顔を洗ったり、お風呂で 使ったりで使用範囲は多かった。我が家に残って いたものだが、かなり傷んでいる。 |
こちらは今も生産されている洗面器。 同じくアルマイト製である。 |
高下駄という。雨の日や雪の降った日に履いた。 「ばんから」を表すため日常的に履くこともあった。 はまが減ってくると入れ替える店があった。 |
男の帯にぶら下げる「印籠」。薬などを入れる。 携帯電話の「根付」のもとになった。 |
刻んだタバコの葉を入れる「煙草入れ」と「きせる」。 | 昭和26年の野良での食事風景。 伊方郷土館資料から。 |
昭和32年のもの。農作業の帰り? 伊方郷土館資料から。 |
何に使った太鼓だろう。 中津民俗資料館から。 |
置き薬。中津民俗資料館から。 | 明治40年代のカメラ。 中津民俗資料館から。 |
重箱に代わって使ったと思われる 「ごちそう入れ」。中津民俗資料館から。 |
弁当箱。中津民俗資料館から。 |